保健医療調整本部
7月12日16時頃、人吉保健所に到着した。
保健所の入口横の一角に「人吉・球磨医療圏保健医療調整本部(人吉保健所内)」があった。
事務局長を務めるDMATロジスティクスチームの二村先生、副事務局長の嶋先生が笑顔で出迎えてくれた。避難所や病院に出かけたDMATや日赤救護班などの保健医療活動チームがまだ帰ってきていないためそれほど忙しくない様子だった。
二村先生は関西弁で状況をテンポよく説明してくれた。避難所のマネジメントはすべて日赤災害医療コーディネートチームに任せているということで日赤災害医療コーディネーターの池先生を紹介してくれた。細身の長身で物腰柔らかな先生で好印象だった。
次に、保健所長の盾先生のデスクに出向いてあいさつをした。40歳代と思われる女性の先生で災害対応の疲れのためか険しい表情だった。秋田空港で買った「いぶりがっこ」と「なまはげチョコ」をプレゼントしたところ、秋田大学の公衆衛生学講座の先生の話や「いぶりがっこが大好きだ」など意外にも秋田の話題で会話が弾んだ。
お土産はいつもきむらやの「いぶりがっこおつまみ」を買っていく。これは個包装になっていて食べやすく大人数へのお土産にいい。
秋田名物いぶりがっこは全国区の食べ物になってきたようだ。
|
「保健医療調整本部」は2016年の熊本地震が契機となって明文化された。
地域の対応に関しては、熊本地震の際に阿蘇で行われた活動「阿蘇地区保健医療復興連絡会議Aso Disaster Recovery Organization(ADRO 通称アドロ)」がモデルとなっている
その後、西日本豪雨では倉敷市でKuRaDROという名称が使われたが、○○ドロはその後なぜか使われなくなった。
厚生労働省からの通知「大規模災害時の保健医療活動に係る体制の整備について」
都道府県庁内に「保健医療調整本部」を設置し、災害対策に係る保健医療活動の総合調整を行い、地域は保健所がその役割を担うこととされた。
以下一部抜粋。
① 保健医療調整本部は、被災都道府県内で活動を行う保健医療活動チームに対し、保健医療活動に係る指揮又は連絡を行うとともに、当該保健医療活動チームの保健所への派遣の調整を行うこと。 なお、災害発生直後においては、人命救助等に支障が生じないよう、 保健所を経由せず、被災病院等への派遣の調整を行う等、指揮又は連絡及び派遣の調整(以下「指揮等」という。)について、臨機応変かつ柔軟に実施すること。
② 保健所は、①によって派遣された保健医療活動チームに対し、市町村と連携して、保健医療活動に係る指揮又は連絡を行うとともに、当該保健医療活動チームの避難所等への派遣の調整を行うこと。
地域の災害保健医療は保健所が中心となって行うことが明文化された。とはいえ、被災地の保健所が、保健所業務を行いながら、これまで経験がなかった災害支援のために集結した医療チームをマネジメントするのは現実的ではない。そこでDMATロジスティクスチームが登場することになる。保健所を支援し外部からやってきた保健医療活動チームをマネジメントする(本部活動をおこなう)ために被災地にやってくる。
「保健医療調整本部」は都道府県庁に設置される組織だが、地域レベルで保健所に設置される組織も「○○地区保健医療調整本部」という名称がつくことがほとんどだ。
地域の災害保険医療をマネジメントするのは保健所なので、「○○地区保健医療調整本部」のトップは保健所長であり、我々DMATロジスティクスチームは保健所長ならびに保健所、市町村を支援するための「○○地区保健医療調整本部事務局」を運営する。
「○○地区保健医療調整本部」には「日赤災害医療コーディネートチーム」、「日本医師会災害医療チーム( Japan Medical Association Team; JMAT)」をマネジメントする「医師会事務局」、「災害派遣精神医療チームDisaster Psychiatric Assistance Team: DPAT」、保健所職員の支援チーム「災害時健康危機管理支援チーム(Disaster Health Emergency Assistance Team ; DHEAT)」などが入り、お互いの活動内容や得られた情報を共有し被災地内の保健医療活動を行う。「事務局」がそれぞれの団体のいわばつなぎ役、取りまとめ役となる。
私が入った7月12日にはすでにこの体制が確立していた。その運営も何の問題もなく行われているように思えた。これまでの災害の教訓が生かされていると感じた。
「今回の災害支援はこれまでとは違い苦労は少なそうだ」と海平調整員と車の中で話しながら八代市のホテルに向かった。