球磨村診療所復旧支援
7月15日球磨村の災害医療指揮所がある球磨村総合運動公園に向かった。球磨村は大きな被害をうけ死者24人と熊本県内で最も多く、人口約3400人のうち約400人が人吉市の避難所で生活していた。約1300人が村内に残っているとみられ、残りは親戚などに避難しているとみられていた。
球磨村総合運動公園には自衛隊が野営しており、野球場はヘリの離着陸基地となっていた。ヘリで救助されてきた村民をここから人吉市の避難所に搬送したという流れだ。
さくらドームには村役場が移転してきており球磨村の災害対応の拠点であり、医療支援チームは救護所を設置し巡回診療の拠点としていた。
https://this.kiji.is/653402980464411745?c=92619697908483575
さくらドームに来た目的は、球磨村の状況把握、球磨村役場と人吉市内に避難してきた避難者の連絡体制、情報共有体制の構築、球磨村診療所の状況把握の3つだ。
球磨村唯一の医療機関であった球磨村診療所が被災したため、球磨村内で行われる医療行為は災害医療として行われた。これは、通常の医療、保険診療とは仕組みが大きく異なり、被災地に医療チームが持ち込んだ医療器材、薬剤で行われる。通常、災害医療にかかった費用は被災都道府県と国が医療チームを派遣した都道府県を介して派遣元の医療施設に支払われる。災害救助法によって費用支弁が行われる。必要な薬剤が医療チームの持ち込んだ薬剤ではまかなえない時は災害医療のための薬局が設置される。通常、薬局の開局には事前申請と許可が必要だが、災害時にそういう時間もないため災害時の特別な薬局ということで車を薬剤供給用に改造した「モバイルファーマシー」が用いられることが多くなった。今回も熊本県薬剤師会が「モバイルファーマシー」をさくらドームにもってきて薬の調剤を一手に引き受けてくた。
通常処方と災害処方の違い
球磨村診療所では、自衛隊とDMATが支援に入り復旧を支援していた
https://www.sankei.com/photo/story/news/200713/sty2007130019-n1.html
我々が行った7月15日は球磨村診療所が診療再開の目途がついてきたところだったが、数日前から診療再開に向けて一つの問題が生じていた。
それまで村民は災害医療として自己負担なしで医療を受けてきた。診療所が再開した場合は保険診療を行うのが通常であるが、そうなると1~3割の自己負担が生じる。道路が寸断され診療所に来れない村民には、DMATや自衛隊が薬を届ける災害医療的な支援も必要であるとはいえ、災害医療は発災後2週間が目安とされており、この先ずっと災害医療をしかも民間医療機関で行うのが適切ではない。診療所長も、支援に入ったDMATロジスティクスチームリーダーも悩んでいた。
その日「令和2年7月豪雨で被災された皆様の医療機関等での受診の際のご負担が猶予されます」という通知が7月14日付で出されたと連絡が入り、球磨診療所の状況把握も兼ねてその通知を届けに来たというわけだ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12472.html
診療所長の先生はその通知を見せると大喜びで、「じゃあ今日の夕から保険診療でやります」と被災から10日もたっているというのに疲れも見せずエネルギッシュに動きだした。
球磨村診療所7月15日15時より診療を再開。その瞬間にたちあったDMATロジスティクスチームリーダーは涙を流していたらしい。自衛隊にがれき除去、清掃、消毒をしてもらい、使えないものの方が多かったようだが、医療機器の整備、薬品の取りまとめ、カルテの復旧など夜遅くまで活動したようだ
https://www.asahi.com/articles/ASN7L4562N7JTIPE03Y.html
診療所再開に伴いモバイルファーマシーの処方激減し、
7月17日11時にモバイルファーマシー(熊本県薬剤師会)は活動を終了した。
災害医療というと、被災者の治療、健康管理というイメージが強いが、医療施設の復旧支援というのがもう一つの大きな仕事だ。医療チームが被災地に入って医療を行うのは被災地内の医療施設が被災して通常診療ができない、もしくは、患者が多すぎて対応しきれないという状況が発生してしまうからだ。被災地内の医療施設が被災地内の医療需要をすべてカバーできるようになれば医療支援は必要なくなる。
球磨村診療所を自衛隊の強力な支援によって早期に復旧できたことによって、球磨村内の災害医療の需要が急速に減少したことは、まさに、被災地内の医療施設の復旧支援は災害医療の根本であることを再認識した貴重な経験であった。