大学病院の救急医ブログ

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心の壁 「情報をくれ」の前に「情報をわたす」

7月14日朝、3時間程の睡眠のあとやっとの思いでホテルを出た。

 

車の中で海平と前日を振り返った。実はDMATロジスティクスチームがPCR検査を支援するために所属病院と所属都道府県の許可をとってからという指示がDMAT事務局からでた。DMATは所属都道府県と所属病院の協定によって活動しており、派遣時の事故に対して所属都道府県が保険をかけている。DMAT活動でケガ等が発生した場合は所属都道府県が保証する仕組みになっている。そのため都道府県の許可を得る必要があるという論理だ。なかには許可が出なかった隊員もいた。その隊員は本部に残って最後まで留守を守ってくれた。

 

7月14日朝、本部に着くと、我々より遅くまで働いていたはずの人吉保健所の職員の方から「おはようございます」と明るく声をかけてもらった。他の職員の方々も私の顔をみて会釈をしてくれる。明らかに昨日までの私に対する態度と様子が違う。

県外からやってきた我々支援者と被災地内の支援者の間にあった壁が一つ溶けたと思った。

 

被災地のために働くぞと意気込んでやってくる我々はえてして、「こーしたほうがいい」「あーしたほうがいい」と良かれと思って口を出す。それが被災地内支援者の考え、困りごと、要求と合致していればことは進んでいく。ところが、その時、その瞬間に一番困っていることが別にあれば、我々からの進言は受け入れられないどころか、我々はただ仕事をふやし被災地内支援者の負担を増やす存在になってしまう。

 

これまでの数々の経験からDMATロジスティクスチームは「何か困っていることはありませんか?」「なんでも手伝います」というスタンスで被災地に入っていく。

実際に人吉市保健センターでは、保健師さんの資料作りやメモを電子化する作業(ExcelやWordへの打ち込み)を手伝ったりもした。

 

そういった姿勢で行ってもやはり信頼関係を築くには時間がかかるる。私の前任者の二村先生は、保健所長や保健所の職員の皆さんと信頼関係を築くために「我々が持っている情報はとにかく全て保健所長に渡すようにした」「その成果か少しずつ保健所長と信頼関係ができてきたところだ」と言って私と交代した。

 

災害時は情報が錯綜するし「情報がない」「情報が欲しい」という話をよく聞く。人吉市保健センターでも「県や保健所がどのような動きをするのか情報が欲しい」という声を聞いた。関係機関の調整も我々の仕事だと思っているので「分かりました。対応します」と二つ返事でやることに決めた。いろいろ方法を考えたが一番効果的だったのは、保健センターの動きを保健所に報告することだった。二村先生方式「情報が欲しかったらまず自分の情報をだせ」だ。これは災害対応だけでなく、いろいろな場面で使える原則ではないだろうか。

 

その日、盾保健所長から依頼があった「球磨村PCR検査をやらなければならなくたったけど、DMATでやってもらえる?」

横にいた隊員が「実は、都道府県の許…」と言い出したので

私が遮って「いいですよ。やります」と即答した。

球磨村にいるDMATは前日のPCR検査に関わっていなかったので病院と都道府県の許可はもらっていない。これから許可をもらって…と手続きを踏まなければならない。だからといってそれを保健所長に言ったところで何の解決にもならない。盾保健所長が欲しい返答は「Yes」か「No」のどちらかで、万が一「No」だったら直ぐに代替案に移るだろう。

実際、私が「Yes」と言ったらすぐに担当者を呼んで実務的な話に移った。

この時点で、誰がPCRをやるか決めていなかったが、誰もいなければ自分がやればいいと思っていた。こんな時はスピード感が重要だ。走り出しながら考える。

 

こうして我々と保健所の皆さんとの間にあった壁がだんだん溶けていくのを感じながら活を行っていった。