大学病院の救急医ブログ

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ルーティーンワーク化する医者という仕事2

前回「ルーティーンワーク化する医者という仕事」という話をしました。https://mokuyama.hatenadiary.jp/entry/2020/06/28/142559

 

医者をやっていくには膨大な知識が必要です。大学6年間の知識では全く足りません。さらに手術や内視鏡などの技術が必要な診療科では技術の習得も必要です。よく考えると内科医が行う診断は教科書を読むだけでできるものではなく、患者さんとのやり取りを行いながらも最終診断にたどり着くのは技術にほかならないし、放射線科が行う画像診断や病理医が行う病理診断も技術です。医者としての技術の習得は必須であり、それにはそれなりの数年という時間が必要になります。

そう考えると医師の仕事はルーティーンワークといえるのか?という疑問がわきますが、それでも私はルーティーンワーク化していると考えています。

 

今振り返ると、私が医者になった1990年代には、医学、医療の中で分からない事が沢山ありました。当時常識だったことが今はまったくやられていないなんてことは沢山あります。それだけ医学が進歩したということです。世界中で研究がなされ、それがエビデンスとなって標準治療が確立されガイドラインとして公表されています。インターネットによってどこにいてもその情報は手に入ります。インターネットによって医者の持つ情報量が均一化されました。つまり、医者のもつ知識量には大きなはなくなったということです。

 

20数年前は、知識(情報)を多く持っている医者が名医でした。その頃は英語論文を手に入れることことも大変だったので、当時の名医は少ない外部からの情報と自分の経験からできるだけ多くの情報をインプットし独自のやり方を編み出していたのだと思います。「コツ」や「秘訣」、大げさに言うと「奥義」もしくは「勘」や「直感的能力」と呼ばれていたものがそれにあたると思います。それは多くの場合、言語化されずその名医だけが持つ独占的能力となっていたと思われます。それが今は、その時に分からなかったことまで解明され、より強力な情報となって公開されています。

 

手術に関していうと20数年前は手術がうまい名医というのは「ここを切ると血が出ない」ということが分かっていたのだと思います。名医はそれを言語化して伝えることは難しくて「手術は見て覚えろ」「手術技術は盗め」と言うしかなく、ずっとそばで見ていた医者の一人がその技術をなんとなくできるようになっていくと、その医者を弟子と呼びかわいがった。というのがその当時の外科医の「匠モデル」だと思います。

現在は、内視鏡手術の発達により薄い膜まで認識され、ここを切ると出血しないという場所が明らかにされましたし、各種デバイスの発達で出血を簡単に止めることができます。さらにその場にいない人も手術ビデオを見ることがでます。つまり、名人の手術技術が解明され、新しいデバイスが名人に代わって止血をしてくれて、手術場にいる人以外でも見ることができるようになりました。

確かに現在でも手術が上手な医者はいます。ただ、その技術は独占されず公開されているため多くの医者が到達可能であるといえます。外科医のトップになれなくても標準的手術技術を身に着けるための方法は明確に示されたので、以前よりも容易にその技術は習得可能になったと思います。外科医の「匠モデル」は崩壊しました。

全ての医者が同じ状況にあると思います。医者の「匠モデル」は崩壊しました。以前は病院にいて経験を積むことこそが医者の実力を上げるための最短コースだっと思いますが、現在はそうでないことは明らかです。手術ビデオ以外にも画像集や症例集など机の上で得る情報量が実際に病院で働て得られる情報量よりも多くなってきていると感じます。コロナ禍の影響でますますインターネット上に情報が上がってくると思います。

 

医学研究が進み得られた知見が膨大になっていく一方、人間の能力には限界があります。一人で処理できる情報量には限界があります。年々、医者の専門領域が細分化されてきているのは当然の流れということです。専門領域が細分化しているということは、仕事の範囲が狭くなってきていると言い換えることができます。

前回書いたように医者の人数が増えてきていることも関係しています。細分化するためにはそれぞれの分野に人数を分配できなければなりませんし、逆に、細分化したためにそれぞれの分野によっては「医師不足」と判断されるところも出てきているわけです。

 

まとめると、通常の病院、診療所で働く医師は、それぞれの与えられた分野(細分化された専門領域)で、公開されている情報に基づいて標準的診療を行っていけばいいわけです。これはルーティーンワークと言ってもいいのではないでしょうか。