大学病院の救急医ブログ

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九州豪雨 DMATロジスティクスチーム

2020年7月4日21時58分DMAT事務局からメール
中国四国ブロックのDMATロジスティックチーム隊員への派遣要請であった。

  
7月5日報道をみて熊本県人吉市球磨村の被害は甚大で避難生活が長期になるのは間違いなさそうだった。
どの災害でも急性期から慢性期への移行期に多数の関係機関の調整に難渋する。私はこれまで日本各地の災害に出かけており急性期から慢性期対応への移行もそれなりに経験してきた。DMAT事務局の災害医療のプロは別格として、通常の病院に勤務する医者の中では災害対応の経験は多いほうだと思う。

この災害は自分のこれまでの経験が生かせるに違いないと思った。もっと踏み込んで言うと、コロナ禍で出動できないDMAT隊員の多数いるだろうから、私はいかなければならないと思った。

 

自分には7月10日の医学科5年次の講義、7月11日救急エコーセミナーの講師というどうしても外せない業務が2件あり、早くても7月12日に出かけることしかできなかった。ただ逆に考えると、発災から1週間というのは当初から災害対応にあたっていた方々の交代時期になり、そこからできるだけ長期に活動できれば被災地のためになるだろうと考えた。

7月6日月曜日、12日に出発するための調整を始めた。まず、学生実習(クリニカルクラークシップ1)は6月から再開していたが、それ以前は中止またはZOOMで授業であったので、その時に作っておいた動画教材や資料をもとに自習をしてもらうことと、熊本からZOOMで授業をおこない現地の様子を紹介することにした。病院業務は派遣予定期間に一つだけ入っていた当直を代わってもらった。平日日中の業務は私がいなくても回るようになっている。
7月7日教授には派遣の許可をもらった。その後病院長からも派遣の許可をもらった。これで間違いなく出る派遣要請に応募すればよい。派遣要請がでない場合には「7月12日から1週間程度は行けますよ」とDMAT事務局に申し出るつもりだった。

 

 

DMAT活動は、急性期の人命救助・急性期医療がひと段落したら、避難者の健康管理や被害を受けた医療施設への支援を行いながら、行政、保健所、医療機関、地元医師会、支援団体等と協同し、その後の被災地支援、被災者支援の医療・保健・福祉分野の道筋を整えることが次の仕事となる。

被災地の医療・保健・福祉を担う方々は、災害対応を行うのは初めての方がほとんどである。自らも被災していながら地域住民に支援を行わなければならず、武器も持たずにいきなり戦場に放り込まれたようなものである。そのストレスは想像を絶する。
避難者の方々も被災地で支援を行っている方々も、1週間もたつと精神的にも肉体的にも疲れが出て体調を崩す人がでてくる。災害対応の第2のフェーズに入ってくる。

2011年3月の東日本大震災では、当初医療ニーズはないとされDMATが引き上げた発災4,5日後から避難所で体調崩す人が続出した。2016年4月の熊本地震では1週間後から深部静脈血栓症から肺動脈血栓症エコノミークラス症候群)を発症する人が相次いだ。こういった反省をもとにDMATでは切れ目のない医療支援、早期からの避難者・被災者の健康管理を行い、できるだけ負担のない形で地元の行政、保健所、医療機関に引き継ぐことを目標に活動している。

 

7月7日18時56分思ったより早く派遣要請がでた
【緊急】DMATロジスティックチーム派遣要請(追加派遣)について
北海道、東北、中部、近畿、中国、四国、九州・沖縄ブロック
各府県災害医療担当者各位

7月4日の大雨被害に関し、熊本県からDMATロジスティックチームの追加派遣について下記の通り要請がありました。

                 記
1.派遣要請都道府県:北海道、東北、中部、近畿、中国、四国、九州・沖縄ブロック管内のDMATロジスティックチーム隊員の派遣を要請いたします。
2.派遣対象者:DMAT指定医療機関に所属するDMATロジスティックチーム隊員有資格者
3.活動場所:熊本県庁または同県内に設置されたDMAT活動拠点本部等
4.派遣期間:7月10日(金)~17日(金)ごろ(被災地の状況により変更があり得ます)
5.参集場所及び参集日時:別途DMAT事務局から連絡
6.活動内容:本部活動

 

私は7月12日~19日で申し込んだ。19日としたのは、間違いなく17日ではDMAT活動は終わらないだろうし、17日で帰るDMATロジスティクスチーム隊員がほとんどだろうからその谷間を埋める意味でも19日としておいた方が良いと判断したからだ。