大学病院の救急医ブログ

大学病院の救急医が考える医療のこと、教育のこと、キャリアのこと

ルーティーンワーク化する医者という仕事 

田舎で育って田舎で働いているせいもあると思いますが、私が医者になった当時は私の周りにはまだ「お医者様」という雰囲気がありました。高齢者の方々を診察すると若い私でさえ敬われている感覚をうけました。

それから20数年経った現在そのような感覚を受けることは全くありません。「医師」というのは聖職でもないし、特別な職業ではないということです。

以前、NewsPlicks https://newspicks.com/ で北野唯我さんの記事を読んで納得したことがあります。

 

仕事にもライフサイクルがある。

 

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1961年には2840人だった医学部の定員は、1970年代に行われた一県一医大構想によって急増しました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%9C%8C%E4%B8%80%E5%8C%BB%E5%A4%A7%E6%A7%8B%E6%83%B3

(2020年度の医学部の定員は9330人だそうです。)

私が医者になった1990年代は、1970年代に入学し1980年代に医師になった方がやっと中堅として活躍していた時期でした。また、高額納税者が公表されると田舎では開業医が上位を占めている時代でした。

つまり医師は1960年代まではニッチな職業で、(私の感覚では)2000年頃まではスター職業であったと思います。

 

現在はどうかというと、医師の仕事は、急速な医学の進歩により疾患の病態、治療法が解明され、各種ガイドラインが整備され、ガイドラインを遵守して診療していけば特別な技能を持っていなくても十分やっていけます、つまり、ルーティンワーク化していると思うのです。

 

上図の引用先であるDIAMOND online の記事には以下のように書かれています。 https://diamond.jp/articles/-/173545

「つまり、仮に同じ1000万円でも、実は二つのパターンがある。一つは「付加価値が高いから高給」であるケース。もう一つは「そもそも仕事に魅力がないから高い金を払わざるを得ない」ケース。後者は、やりがいを代償に金をもらっている。」

 

これも医者の仕事に当てはまります。手術やカテーテル治療など高い技術を持った(付加価値が高い)医師が高給を貰うケースもありますが、一方、通常の都市部の勤務医はそれほど高い給料ではなく、逆に田舎の病院、過疎地の病院では、医師を確保するために高給を提示せざるを得ないという状況にあります。つまりまさにそういう病院は「仕事に魅力がないから高い金を払わざるをえない」のです。

そういった病院の医師の中にはやりがいをもって働いていいる先生も多数いると思います。そういった先生方を否定するのではありませんが、現在の日本社会の現状としてそういう傾向にあることは間違いないと思います。

行政は、医師不足の地域で働くことを条件に「地域枠」という名前で「奨学金」というお金を払っています。

 

ここ数年、受験生の医学部人気が続いているようです。これも、医師という仕事のルーティーンワーク化の表れではないかと思います。日本では医師になれば、その能力にかかわらずそれなりの高給が貰えます。今後、医師という職業がなくなることは100%ないでしょうし、場所を選ばなければいくらでも働くところがあります。そう考えると非常に安定した魅力的な職業と言えます。

医学生に「将来、どういう仕事をしたい?」と聞くと、「忙しくない職場で働きたい」「上司が優しい職場働きたい」という答えが返ってきます。全員がそう思っているわけではないし、それが医師になる動機の全てではないでしょうが、やりがいよりも高給が魅力であるということは否めないようです

 

では、このルーティーンワーク化した医者としてどう働いていくかを考えた場合、次の2つのどちらかを目指すのがいいのではないかと思います。

「ルーティーンワークではない仕事をする」

手術やカテーテル治療などの特別な技術は給料に反映される可能性があります。ただし、能力給制度をとっている病院はまだ少ないため日本に広く普及するには時間がかかります。また、手術は診療報酬が高く手術件数が多くなると病院の収益が上がりますが、診断の名医がいても病院の収入に与える影響はわずかだと思います。医師の評価基準は診療報酬がすべてではありませんが、医師の技術で診療報酬を上げることができる診療科は限られますし、技術が必要な診療科でも自分の腕で給料を上げることができるのは一握りの医者だけのような気がします。

 

「ルーティーンワークをしながら自分の付加価値を高める」

医療が進歩しその情報があっという間に共有されるため、現在の日本ではどこに行っても標準治療が受けられます。疾患によっては施設毎の治療成績の優劣はあると思いますが、それは施設の差であって医師個人の能力差ではないと思います。多くの普通の医者はルーティーンワークをやってるだけで十分な働きをしていますし、逆に言うと医師個人が特別な仕事をする必要はないし、現状の日本では「神の手」「国手」になることは出来ないし、ならなくてもいいと思います。

多くの普通の医者は、ルーティーンワークの中にやりがいを見出して働いていくことが理想だと思います。そして特別な修行もいらないルーティーンワーク化した仕事なので、そのあいた時間で自分の付加価値を高めるのがいいのではないかと思います。仕事のやりがいに繋がることでもいいし、病院での仕事以外でもいいと思います。外国語を勉強すると国際的な仕事に繋がるし、歌や楽器演奏でもいいですし、株や不動産などの投資をやるのもいいと思います。世間では副業を持つことが推奨されてきていますが、医者にも同じことがいえると思います。

あまり人気のない過疎地の病院で働くと、おそらくそれほど忙しくないでしょうから高給をもらいながら空いた時間で自分の付加価値を高めることをすることがより容易にできます。コロナ禍によってWeb会議やWeb講演会が広がりましたので、これまでよりも移動時間、移動距離の不利は少なくなると思います。時代が変わり過疎地で働くことのデメリットが少なくなっていくように思います。

 

また、最近は「医師の働き方改革」が進んできて強制的に病院にいる時間が短くなっています。これもルーティーンワーク化してきたのだから当然の流れだと思います。医師不足とは言われていますが、医師の献身的超過勤務によって支えなくてもいい時代になってきたことの表れだと思います。

働き方改革で空いた時間をただ漫然と過ごす、ただ遊ぶのではなく、自分の付加価値を高めるために使うことが、これからの医者が人生を有意義に過ごすために必要なことだと思います。

 

私は、最近、空いた時間には学生や研修医の指導方法を考えたり講義資料を作ったりして過ごしています。これまでの経験や考え方を伝授することにやりがいを感じるようになってきました。それを整理するためにこのブログを書いています。

「ルーティーンワークの中にやりがいを見つける」ことを若い人たちに伝えたいと思っています。