大学病院の救急医ブログ

大学病院の救急医が考える医療のこと、教育のこと、キャリアのこと

医師のキャリアプランとは?高校時代から振り返る

「医師のキャリアプラン」について学生や研修医に向けて話しました。そこで私のこれまでのキャリアをお話ししました。

私が医学部を受験することを決めたのは「病気で困っている人を助けたい」などの崇高な思いがあったわけではありません。田舎生まれの私には長男だから家と墓を守るという強い暗示がかけられてて都会に出ていく選択肢がなく、学校の先生になればとか公務員とかお役所勤めがいいよとか夢のないことばかり聞かされていました。それに同意できない私は将来の目標も決められないのでバンドのまねごとをしたり、遊びたいとか女の子にもてたいとかフラフラしたことばかり考えている高校生でした。

高校入学直後から行われる志望大学調査には「そんなの今から決められるわけないだろう」と思いながらいつも適当に○○大学工学部とか書いておき、ことあるごとに学年集会が開かれ「模試成績がどうだとか」「○○高校と比べてどうだ」とか物差しがすべて大学受験の高校に心底嫌気がさしていました。バンドもしてたし、パーマをかけたりしましたが、新学期に担任になった教師が直ぐに家に電話をかけてきて親にパーマをやめさせるように言ったことがあって「まず本人に言えよ」「注意するなら担任になる前から言えよ」とその行為に納得ができず、教師という職業は自分の将来の選択肢から抹消されました。そんな高校にマッチして医学部に行くと入学当時から決めて一心不乱に勉強している同級生を見て「すごいな」「俺とは住む世界が違うな」と心の底から思っていました。

ただ要領は良くて、そこそこの成績は残していた高2の終わりごろのある日ふっと「医学部に行って医者になれば地元で働けるし、それなりの生活もできるだろう」と思いついたのでした。その前後のことはくわしく覚えていないのですが、特にあれこれ悩んだわけでもなくパッと思い付きで決めたと思います。それは両親も納得させられ、自分にもいい目標が見つかりすばらしい思い付きでした。

志望大学調査を提出した後「志望を変えたのか?」とぶっきらぼうに担任に聞かれただけでしたが、自分には「お前に医学部は似合わない」と言われているよう感じました。医学部受験には指定校推薦というのがあり、指定された高校から推薦を受けた生徒はほぼ合格することが決まっています。当然ながら私は推薦してもらえず結構勉強しました。その年、無事に一般入試で合格することができました。

高校時代の同級生は、今の私をみて高校生のころから考えると想像もつかないといいます。反抗的で努力とか汗とか全く似合わないやつだったのが社会貢献を叫ぶ、学校の先生が嫌いだったやつが大学教員をやっていて学生にキャリアだとか人生だとか話している。

人生とはわからないものです。